2023年9月20日水曜日

読書感想文 23/9/20

 『おはしさま 連鎖する怪談』(三津田信三/薛西斯/夜透紫/瀟湘神/陳浩基、光文社)2021年

65/100

近年、汎東アジアでとみに盛り上がりを見せるホラー小説。書店に向かえば、海外ホラー作品の著者に漢字人名を見ることも多くなったように思う。本書は日台中の作家達が箸にまつわる同じ怪異を軸にして結びついたリレー小説である。

僕は三津田信三のホラー小説のファンであるため、本書も(それほど三津田信三本人のアカウントなどで熱心に宣伝されていた記憶はないのだが)刊行とほぼ同時に求めた。が、今の今まで積んでいた。それはひとえに、僕がアジア圏の作家にほぼ馴染みがなかったためである。

本邦は一応漢字圏の一角をなしており、魔改造され似ても似つかないものとなってはいるが、漢字の読みの一部などに大陸文化の一端を残している。しかしながら、その残し方こそが問題なのだ。例えば「陳」という苗字は日本人が読めば「ちん」と発音されるが、より原語に近い音に転写すれば「チェン」である。また「張」という苗字は「ちょう」ないし少し馴染みがある人であれば「チャン」と発音するかもしれないが、実際には「ヂャン」という音のほうが近い。一方「文」の読みは「ぶん」ではなく「ウェン」である。

つまり、我々が理解しやすい"音読み"ではない、それでいて少し似ている読みの名が作中にゴロゴロしているのが問題なのだ。僕もかつて親や年嵩の知り合いなどが「横文字の名前は覚えられない」と言っているのを見て「何を馬鹿げたことを」と笑っていたものだが、これだけアジア圏の文学が勃興した今となっては彼らの言いたいことが分かってしまう。僕も中国語で表記された名前の読みはちょっと覚えられない。

そんなこともあって、僕は何となくアジア圏の作家達の著作を敬遠してきた。この度積読を崩すことになったのも全くの気まぐれである。本棚でたまたま目についたから読んだだけの話だ。

本書を勢いで買ったはいいもののほぼ目を通していなかった僕は、手に取ってみて初めて著者に陳浩基の名があることに気付いた。言うまでもなく、『世界を売った男』(文藝春秋、2012)で島田荘司推理小説賞を獲った小説家である。生憎とこちらも未読だが、流石に僕も名前くらいは知っている。どうやらこのリレー小説のアンカーを務めるらしく、なら…と少し期待して読み始めた。なお、上の著者名は掲載順に表記している。


リードオフマンは我らが日本代表、三津田信三である。

行きずりの人間から民俗学的な湿度のある怪談を採話する…という、短編三津田ホラーの定石とも言える作りで、あとを走る作家達に良質な餌をばらまくだけばらまき、これもまた三津田ホラーとは不可分と言っていい「家」をモチーフにした恐怖を描いて話は終わる。説明不足にならない程度にサゲもついており、これもまたお約束とも言える「ホラー小説家らしき存在である"僕"による怪異への考察」も開陳されるため、三津田ホラーのファンには十分に満足出来る仕上がりだ。

撒き餌がメインとも言えるポジションであるので、描かれる恐怖はやや小粒であり、小品と言ってもよい小ぢんまりとした作品だが、魅力的な謎は提示された。あとはこれを後続がどう料理するかである。


二番走者は台湾代表、薛西斯

完全に怪異譚であった第一章とは異なり、長めの尺を用いてかなりミステリ寄りの仕掛けが丹念に施された作品だ(ちなみにこのリレー企画はそれぞれの小説に2万字までという縛りがあったそうだが、それを守っているのは三津田信三だけである)。

台湾ホラーと言えば、近年ではインディーホラーゲーム『返校』や『還願』が(その後の顛末まで含めて)話題になったが、そのようなものに既に触れており、基本的な素地のある人間以外にはやや理解が難しいのではないかと思われた。少なくとも台湾の学校制度や習俗をある程度知っていないと、少し取っ付きにくい描写がある。

ホラー小説として読んだ場合には恐怖値はかなり低く、どちらかと言えば所謂「ヒトコワ」系の話であり、構成の妙を味わうべき作品だと感じた。


三番走者は香港代表の夜透紫

土着習俗の色が濃かった第二章とはまた打って変わり、現代的なガジェットと現代的な舞台設定、そして現代的な動機が設定されている。要は、本章もかなりミステリ寄りだということだ。むしろその色は第二章よりも濃いかもしれない。オチにだけ使われたホラー的要素に目をつむれば、十分フーダニットものとして成立する作りである。何と本章では、箸は凶器として登場するのだから。

燻製ニシンも十分に張り巡らされており、二転三転する謎解きはそれだけで爽快感がある。反面、恐怖や怪異の演出はフレーバー的に用いられるに留まっており、ホラー小説としては物足りない。また、香港の地名や当地にまつわる都市伝説といったものが重要な意味を成す作りのため、僕のように名前を覚えられない読者は話についていくのに少し苦労するだろう。

 

四番走者はこちらも台湾代表、 瀟湘神

本書はこの第四章が問題である。

構成はかなり卓抜で、今までの作家達がちりばめてきた要素を巧みに伏線として生かしながら、この章の中だけでもどんでん返しを用意している。作りは本当にうまいのだ。こちらもミステリ寄りの仕立てになっているが、ここまでの三章の「ホラー+ミステリ+ミステリ」がひとつのホラー小説として完全にまとまり、背骨が通ってピンと張るような神がかり的な作りである。日本のホラー小説で例を引けば小野不由美『残穢』や三津田信三『どこの家にも怖いものはいる』のような、圧倒的なカタルシスが約束されるのがこの章だ。

しかしながら、伏線の回収を焦るあまりか、ややご都合主義的にも思えるような展開であることは否めない。ただし、そのご都合主義的展開も含めて「輪が閉じる」ことを意識して書かれている可能性はある。

加えて、ある種のイデオロギー小説的とでも言えばよいのか、"セイジのニオイ"がプンプンしているのが問題だ。

これは僕の持論だが、イデオロギーに染まらないといい小説が書けないのなら、その作家は二流である。イデオロギーに染まるなとも、イデオロギーを小説で開陳するなとも言わないが、場は選ぶべきである。特に本書はリレー小説という形式であるのだから、このイデオロギー開陳癖はどうにかしてほしかった。

また、どう読んでも本書執筆者のうちの一人としか思えない人物を作中に登場させ、その「意見」としてイデオロギーを補強する主張をさせているのもあまり褒められない部分である。それは俗に「イタコ芸」とか「他人の褌で相撲を取る」とかいわれるやつだ。

しかしながら、この"イデオロギー小説しぐさ"が本章のかなり重要な構造を成していることは動かしがたい事実であり、イデオロギーなしにはカタルシスはおろか、本章は成立すら危うくなってしまう。

これもまた僕の持論として、常々ホラー小説には娯楽であってほしいと思っている。恐怖を娯楽として楽しめるのは、人間が人間だからである。野生の動物は恐怖から逃避するか、戦うかの行動を選ぶだけであって楽しむということはしない。そういう意味で、ホラー小説は人類が生み出したものの中でも至上の娯楽のうちの一つなのである。そこに賛否両論のイデオロギーを織り込んでしまうのには、僕は慎重であってほしいと思う。

したがって、このイデオロギー臭さが許容できるかどうかが本書の評価の大きな分岐点になるだろう。僕は実際にはイデオロギー臭さよりもイタコ芸のほうが許容しがたく、そういった意味で本章をあまり評価できなかった。読書体験としてはかなり良質な部類なのだけど。

 

アンカーは押しも押されもしない香港の大家、陳浩基である。

さてその実力は…と勢い込んで読み始めた本章は、前走者がイデオロギー小説を書いてしまったので、何とか必死に娯楽小説に戻そうとしている…というような痛々しさすら覚えるエンターテインメント感に溢れた小説であった。

本書の話は既に第四章で完全にオチているため、著者本人もあとがきで書いているように、何を書いたところで蛇足になってしまう。だからこそ肩ひじ張らない娯楽小説で重箱の隅をつつくような整合性を取ったのだろうが、その作りというのが…ミステリとしてもホラーとしても少々アンフェアと言わざるを得ない。第四章までが『リング』だとすれば、第五章は『らせん』である。

分かる人には分かる例えはともかく、本章はかなりラノベっぽいとでも言おうか、ここまでの重たい空気を打破するような、深刻さの足りない描写が続くので、焼肉の後に口直しのバニラアイスクリームを食べているような気分になる。それも、飛びきり甘いやつをだ。

面白くないとは言わない。言わないのだが、この手の話の作りはそれこそ鈴木光司『リング』以後にパルプフィクションではよく見られたものであり、それ以前までは禁じ手であった。『リング』が大々的に禁じ手を破ったために模倣され、結果としてチープになってしまったのである。そういう話なのだ、これは。

一応、もう一度本章を最初から読み返したくなるような仕掛けがないでもないが、読み返さなかったからといってどうこうなるようなものでもないのであまり評価は出来ない。

重ねて書くが、面白くないわけではないのだ。それこそ焼肉の後の口直しに出てきたバニラアイスクリームを頑なに拒んで食べない人などいないし、かといってわざわざお代わりするような人もいない。そういう仕上がりである。ちょっと期待をしすぎた可能性は否めない。


本書は最も出来のいい部分と最も評価が分かれそうな部分が表裏一体であり、それ故評価が難しい。正直に言えば、僕はもっとホラーじみた話を期待していた側面もあり(それは帯の宣伝惹句が悪いともいえる)、第一章の三津田信三の怪異譚にあるような黒い霧の如き不穏な恐怖をもっと得ようと思ったら、やはり本邦の作家に求めるべきなのではないか、という所感が補強されてしまった。

読書体験としては悪くない。だが、全然怖くない。そこが問題なのである。一流の食材を使って作った、ごく庶民的な家庭料理を味わっているようなちぐはぐさが付きまとう。その上、口直しのバニラアイスクリームはべったり甘い。

このような微妙な点数になってしまうのも詮無きことである。

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